今、最大の関心事

2005年6月25日
は、特に無い。

近所のレジャー温泉がお気に入りスポットになりそうだ。
2年振りに行ってみたけど、やっぱり幸せを感じた。

ヨガを続けて、そろそろ1年が経つ。
幸せを感じる。



排卵で、胸が張る。
自分でもみもみ。



太ももの正面がわに、また新たな腫れ物ができて一週間以上経つ。
皮下の深いところにあるのか、炸裂する気配は無い。
が、腫れはなかなか引かない。
硬く熱く盛り上がっている。
気になって、ついつい指で確認するようにいじってしまう。



腕の付け根の背中側の荒れが治ったりじゅくじゅくになったりを繰り返す。
下着がこすれると痛みとかゆみが出て、掻いてしまう。
 
膝の横の、骨が突き出たところも、最近まで同じような症状だったが、
今は傷跡の色素が残るっているだけで、痒みもまったく無い。

腕の付け根も早くそうなればと、思う。
今はひりひりする。

やっと治った

2005年5月18日
また、ふんりゅーできた。
内太ももに。
腫れも痛みも尋常じゃなく、座るのに困難な日々が一週間以上続きました。
やっと先週、膿が炸裂噴射で出て、だんだん腫れも引いて、
今は表面の薄皮もきれいになって、
あとは赤みが引くのみ、となりました。
今回の穴の直径は1〜2?程度で、傷はほほぼ目立たないと期待できます。

ゴールデンウィークの不摂生がたたりました。

便秘になるし。

薬も切れてたし。

  

最近、ここ1ヶ月前から朝、ウォーキングをはじめました。

友人らと毎日歩いています。

奥様達が連れ立って歩く姿をよく見かけます。

はやってるなぁ。

時給が上がった

2005年5月3日
50円時給が上がった

わーい
わーい
わーい
わー

転職希望

2005年4月15日
日増しに今いる職場を辞めたいと思うようになってきた。

【仕事の気に入ってるところ】
・朝早くない
・上役の昼ご飯を買いに行かなくて良い
・納期の催促電話に出て怒られなくて良い
・しんどい会議に出席しなくて良い
・意見を求められて、「特にありません」
 と言っても「成長無い」と言われなくてすむ
・責任がない
・慣れた
・タイピングが速くなった
・わからなければ聞いたら良い
・しゃべる事が少なくてよい
・定時になったらさっさと帰ってもイヤミ言われない
・何となく仕事していたい場合は、
 定時過ぎても切り上げさせられない
・カエラはインターネットし放題
・イヤミ言う年齢不詳の変人女はもういない
・社員の人たちが買ってくるお菓子が回って来る
・時々、映画の試写券もらえる
・挨拶しっかりしなくていい
・お茶出さなくて良い
・掃除しなくて良い
・切手や高速券を買いに行ったり、振込み業務などしなくていいし、
 会社の所用で昼休みをつぶさなくてよい
・かける事は多少あっても、まったく電話に出なくて良い
・保険の勧誘のおばちゃんがこない
・セールスが来ても対応しなくてよい
・しゃべりかけてこないので無駄な喋りにつき合わされなくてすむ
・ウォシュレットが付いているし、トイレがきれい
・自分のいるオフィスの階下に大便用の便所を勝手に特定し
 落ち着いて用を足せる
・定期代をがめてても追求される事はないし、「それは横領だ」
 と嚇されることも無い
・化粧していかなくても恥ずかしくなくなった
・美味しいランチの店が近所に沢山ある
・ラジオが流れている
・オフィスがきれい
・ほぼ禁煙
・カエラは付箋使い放題
・コピーの裏紙をメモにしなくてい
・好きなミュージシャンを近くで見れた
・好きなミュージシャンの未公開画像をもらった

・・・・・・・

続きはまた次回

もうすぐ誕生日

2005年3月24日
今月中に29歳になる。

凄い焦りとか、
悲愴感漂うもんかと思ってた。

全然ない。

感はない。
でも少し悲感はある。

体の調子はというと
生傷はほぼなくなり、
色素沈着が痛々しい。

その後フンリュウは太ももの付け根、ビキニライン、臍下7cm、
と連続して発生した。

すべて自ら炸裂し、膿を排出し、穴があき、穴が埋まって
赤い痕が残っている。

しばらくは収まったと思った矢先、
乳首にしこりを見つけた。
小さな腫れが少しずつ成長している。
今では目視で確認できるほどだ。

アレルギーの方の診療所では
外科か婦人科に行けとの事だった。
まごついている。
腰が重い。

そういえばアレルギーの血液検査をした。

アトピーが陽性というのは相変わらず。
その他の血液中の成分についても異常値は見られなかった。
すべて正常値。
数字からするとそんなにドロドロ血ではないとの事。
血流を測定したわけではないのでハッキリは分からないが。


2、3週間まえから玄米を食べ始めた。
美味しいので抵抗感無く続けられる。
白米と混ぜて炊いてもらっている。

ほぼ毎日便が出る。
かなりな即効性。

便の中に未消化の状態のものがある。
咀嚼が足りてないな・・・。

こないだの日祝の連休はお泊りで、ほぼ外食だった。
量も必要以上に食べた。

あなご天丼
にしんそば
コロッケ(半かけ)
串揚げ(一かけ)
おはぎ 三つ(黄粉×1 粒あん×2)
立ち飲み居酒屋で
・蛍烏賊
・生わかめ
・熱燗1.5杯
菜摘みバーガー
宮本むなしでヘルシー定食
お好み焼き

夕食は抜き。



ずっと便秘。

体臭(皮脂)がくさい。

玄米食べ出す。
→劇的な効果。

スッゴイ玄米って。
スッゴイ玄米って。

ふんりゅー

2005年2月20日
もう、また出来たし。

腰に3つ。
もう腫れも引いたし、膿の固まりも出たけど。

傷がまた残りそう。

肩や、脇の爛れは痒みこそおさまらないけど、
腫れや赤みは引いてきた。
表面がかさかさした感じ。

アズノールは欠かさずに塗る。

目のまわりの腫れも引いてきて、しわしわしたのも引いてきたので
そろそろ眼鏡やめてコンタクトに戻そうかと毎朝思うのだが
頬の赤みが気になり、なかなか眼鏡がはずせない。
眼鏡でカモフラージュしちゃってんの。

ビキニラインと太ももが痒い。
トイレで肌を出すたびに掻いてしまう。
レスタミンを肌身はなさず持ってなければ。





1ヶ月前から、近所の漢方も扱う診療所に通うことにした。
入浴剤、飲み薬は漢方で、
軟膏も、紫雲膏とアズノールとレスタミンを処方された。

毎日解毒作用のある漢方の飲み薬を飲んでいるせいで、
排便は隔日か数日毎日出るようになったり、一日3回出たりする日もある。
兎に角ゆるい感じ。でも下痢痛のような苦しみはない。
排便がガマンできない。
だからでる。

ジャンクフードと(しばしかも?)さよならする事にした。

魚以外の動物性脂質は極力控えめに。
白い砂糖も摂らない。
野菜(旬のものが望ましい)をよく摂る。
水分を積極的にとる。

近頃、T君を含め、友人と遊ぶ機会が少ない為、外食も減った。
でも時期が変わればまた外食も増えるかもしれない。
それでも週に1日は外食だったりするので、そんなときは
ジャンクフードは避けている。
野菜を多く摂れる店を選ぶようにしている。

これらの事が、あまり苦じゃなく出来るのでストレスにはなっていない。
がちがちに枠組みをせず、

ジャンク:食べなくても平気になった。
ややジャンク:減らす。
好きじゃないが体にいいもの:ちょっと挑戦してみる。
好きな体にいいもの:ほどよく摂る。
高価な体にいいもの:それがなければダメだとか考えずに、金銭面でスレトスにならない程度で入手できる範囲で摂ってみる。

と、こんな具合で、食べ物を偏りすぎずに食べようと思う。
今までやってたようで、結構偏っていたりしてたんだと思う。
なんせ外食多かったし。

でもちょっと頑張らなきゃと気合入れてガマンするのが、
洋菓子系統・・・
生クリーム、バター、白砂糖。

いうたら、今日日の食べモンには白砂糖が一杯使われてまっせ。
・・・なんて聞いたりするけど。

どこかに黒砂糖のお菓子で私の心(脳)も舌も満たしてくれるスィーツはないだろうか。


旅グルメ番組なんか見てて、食事制限しなくても健康(に見える)レポーターが現地の食べ物がんがん食べてて、かなり羨ましい。
以前はこんなだったのに、私だって。
インドへ行ったらアトピーが治る、なんてのを読んだ事がある。
環境が変わるからだとか、
下痢したら、腹痛で痒みどころじゃないとか、
腸内の悪玉菌(勿論善玉も出ちゃってんだろうけど)が排出されて
体が綺麗になる、だとか説はいろいろありました。

でも、私は便秘症なので、1週間とか出ないことはよくあった。
いつもいつも気にはしてなかったが、
今から考えるとそのときは腸内が汚れている感じで、汚れが溜まるとやっぱり痒みもひどい気がする。

腸内洗浄を考えてみた。

けど、食べ物屋、今処方されている生薬で改善しつつあるのだから
荒療治はやめておこう。
考えが変わらない限り腸内洗浄はないな。
■T君が12月からP生活に入りました。

■アトピーも最盛期を越え、痒みと掻き傷も落ち着き、
穏やかな日々です。
でも明るいところで体を見られるのはまだ抵抗があるので、
明かりを消してもらってます。

■クリスマスは温泉に行きました。

■暮れにかけて気分が落ち込み、会社の同僚の心無い一言とその他、何があったか忘れたが兎に角イライラでふさぎこみがちに。
T君関係の仲間内の忘新年会を断り、一人悶々とする。
結果、正月は楽しく過ごせませんでした。
近しい人間関係もギクシャクし気味で年越しし、
三が日は布団の中で過ごしました。

→後日何とか仲直り。


「自分がどう思われているか」に、何故にこうも、とり憑かれたように頭の中を占めるんだろう。


■年明け、会社の全体会議&新年会に、東京くんだりまで行ってきた。
入社説明会もやっていたのでもぐりこんでみた。
自分の勤める会社がどんな事業を展開しているのか初めて知った。
お年玉をもらい、ホクホクで帰ってきた。

■今年で大殺界最後の年です。

■体重は少し減ったのは良いとして、やはり胸が小さくなった。
ぱいんっと張っていた膨らみがなくなってしまった。
体中の傷跡の色素沈着といい、張りのなさといい、ホントに貧相な体です。
でも、かなりの落込みは今のところない。
血圧が上が100を超えた。嬉しい。

■昨年6月に落ちた某資格の試験を再度受けることにした。
勉強した事は半分以上忘れてしまっている。

■なのに二月に友人と旅行計画。

■杉田かおるが「大成功〜」といってプラカードを手に赤いヘルメットをかぶって記者会見をする日がいつ来るかと、本気で待っている。

■世界地図を見るとワクワクする。
最近気になるのは、東ヨーロッパだ。

体質改善への道。

2004年12月5日
というか、皮膚科に通って処方されていたステロイドはもう止めます。

体は、紛瘤が立て続けに大小5,6個でき、痒みは最高潮で
ここのところ、見た目もかなりひどい有様です。

湯治とか、空気のきれいな地域へ移動もしくは短期間だけでも
集中して、生活してみようかと考えもした。

先日、小学校、中学校、高校と同じ学校に通っていた地元の幼馴染に偶然にも会った。
彼女は小学1年生の娘がいて、私が就職浪人をしていた数年前、
その娘がまだ三歳の頃に一度あっていた。
それからもう小学生か・・・なんて話をしながら
何気なく、最近の自分の体の調子の話になった。

彼女の妹も、その小学生の娘も、アトピー体質で
何度か医者に通ったことがあるそうだ。
妹は、近所の漢方で治療してくれる医者を見つけ、行ってみたところ
なかなか具合が良いそうだ。

漢方か・・・。
時間をかけてじっくり根気よく、というイメージ。

漢方とアトピーについて調べてみた。

アトピーは何らかの形で体内に入った毒素を、
体が何とかして体外に出そうとして、痒みという形で解毒しようとしているのだそうだ。
だから痒みが増せば増すほど皮膚を掻き壊し、どんどんボロボロになっていくのだ。
掻くことじたい悪いわけでないが、傷ができて雑菌なんかが入ると
膿んだりしてしまったんだろうな、と思われる。

ステロイドはその根本にある体の毒素を排出してくれる薬ではない、とのこと。

自然治癒力を、強化し、根本から体の毒を自分で出せるように、体の中から変えていかなければ、
いくら、一時的にステロイドできれいになっても、
ぶり返す事は、そういうことだったのだ。


血を、体の中をきれいにしていきたいと思います。

たこすい2

2004年11月9日
すると、「にょっ」と白い塊が抜けました。

抜けた痕には、ぽっかり穴が開いて、じわじわと血が少し湧き出ました。

直径・深さともにおよそ8mmほどはある、その赤黒いアナが、
自分の体の一部とはおもえなくて恐ろしくて。

銃で撃たれて穴が開いたような、
目玉がくりぬかれた眼窩のような。


でも、
毛穴パックで、でかいコメドが、ずぼっとぬけたような、
卵を産み落としたような、

スッキリ感もあった。


それからは毎日消毒してオロナイン埋め込んでガーゼ貼ってます。

そしてそのすぐ下あたりに、新しい紛瘤ができ、
また、たこすいで小さな膿の塊を排出しました。

アナ、ちゃんと埋まるかな。

たこすい

2004年11月9日
先週、紛瘤の芯の頭がいよいよ出て来たところで、
勇気を振り絞ってガーゼを取って見てみた。
膿はいい感じでまとまっていて、えいやっと周りの肉を
つまんで絞ってみた、やはり血が出たが痛みはない。
芯もほぼ出かかっているのだが、あと一息。
しかしもうこれ以上絞ってもつるんと出る気配はなく、
あとにも引けない状況。
ティッシュをかぶせて指で芯をつまんだ感触を確かめ
思い切って引き抜いてみた。

つづく
本日はスイーツ食べ放題に行く予定でしたが、
あえなく却下。

友人に、家を出るのに自分にたりないものは
○○と○○と○○だ、なんてほんっと聞いててだるくなるような
ごだごだ話を一日付き合ってくれて申し訳なく思う。

先々月、脚の付け根に出来た紛瘤は、芯を取りきらなかったので
再発する怖れあり、といわれていたが、
今度は別の場所に出来た。

たこすいをあてがってみたら、少しは膿が出たが
ひどく腫れて、ずきずきする。

その場所のすぐ近くにまた出来そうな、気配。


何が原因で、こうなってるんだろう。
体も心もおかしい、何かのサイン?

傷つきやすく、物事や、人の言葉を悪く捉えすぎる傾向が
最近ますますひどくなってきた。


打ち込むことを見つけて、このもやもやから解放されたい。

家族との関係がうまくいかないと、何かいいことあっても
根本的に駄目な気がしてならない。

私は、この家にいないほうが皆幸せに暮らせるだろう。
自棄でも悲観でもなく。

いや、悲しいのは悲しいが、事実そうなのだから仕方ない。

出て行けば解決するのだろうか。


夜中、目が覚めると母の声が聞こえる。
誰に聞かすわけではなく、私やそのほか不信感を抱く者に対しての許せない行動を
昔の事から最近事まで延々と空に向かってぶつけている。

気がつけば、中学生・高校生の頃から
聞くに耐えない、母の独り言、恨み言に
そういった言葉に徐々に侵されつつあったと思う。
耳に入れたら、心が傷ついて自分がどんどん弱くなると
耳栓をしていたときもあった。
聞こえなければ、具体的な言葉に傷つきはしなかったが
聞こえないだけで私に対しての罵声は事実だし、
空気が伝わってくるので、
何も知らないでしあわせ、でいることは出来なかった。


故人に対しては悪く言わないようなので(故人の悪口は言いたくない主義らしく)、
故人になればいいのかな。

この世からいなくなって悲しいのは4,5年だけで、何にも役に立たない、挙句疎ましい人間がいなくなれば、心も健康的な生活が送れるかもしれない。

あとは祖母との関係か・・・。


今、家を出ると、二度と母とは普通に会えないのかもしれないという
悲しい予感が湧いてきた。


人から責められると、自分でも自分を責めるようになる。

私は母を責めすぎたのかもしれない。

私も母も、お互いを責めあい、それぞれ自分を責める。

もう解決・修復できない関係にまできてしまったのだろうか。

髪を切りました。

2004年10月30日
今日は朝から雨。
お教室に行ったら、今日は大先生の日でした。
年に3回くらいしかレッスンしてくれないから、会えるのは
ラッキーですよ、と言われてワクワクしていた。

それが今日だって事を忘れていた。
大先生の前に陣取って座りました。

すると話し掛けてくれるくれる。



いやぁ、きょうもよかった。

2、3週間まえから、髪を切ろう切ろうと思いながら、
実行にうつせないでいた。

したい髪型がなかなか定まらなくて、まごついていました。


某クーポン雑誌を会社から奪い取ってきて、ハイセンスでナウなサロンをてきとーにみつくろい、
意を決して?いたしました。

店内はこじんまりとはしていますが、いまどきな素敵空間でした。

あぁ、あたしここで垢抜けた女になれるのね、と私に思わせるのには成功したようです。


帰り道、Kに「こんなかんじ」と写メを送ろうと
歩きながら一人撮影会。
なんどもなんども撮り直し。
だってさっき垢抜けてきたはずなのに
「むさい」
んだもん。

やっぱ垢抜けないのは、顔のせいだ。
家に着いて、鏡で色んな角度から自分の首から上をくねくね映し、
お気に入りの美顔アングルを固定したところで写メってみたが、
やはりまるで別人。

鏡と写真てなんでこうも、こうまでも残酷にかけ離れているのでしょう。
現実と幻想は、やはり異世界なのね。
今、わたくしは大殺界の真っ只中におります。

新しい事を始めても良い結果にならないとの事で
大殺界を抜けきるまで、貯金をしようと思います。

無理をせず、
今までのムダは省いて、今ある貯金のたしにしようと思います。
家を出る資金は多ければ多いほど安心だし。

さぁ、どれだけ貯まるでしょうか・・・。
23日の土曜日地震があった。
今もなお余震は続いているらしい。

震源地に近い、とある地域に父の田舎がある。
近辺には遠い親戚縁者も住んでいる。
集落のほとんどの家々は木造で古く、山間の地域にあるので小さな被害だけでは済んでいないだろう。



早くに上京し、関西で働き、家を構えた父は4年前に亡くなり、
その実家に最後まで住んでいた祖母も3年前に群馬で亡くなった。

父には妹と弟がいる。
父は亡くなる前、家督を弟(叔父)に譲った。
主として墓や家を守るはずであった。

その後、東京の町田に一戸建てを構えた叔父一家は、
祖父母を含めた先祖が祀られてある仏壇を新しい家には置かなかった。
位牌さえも拒んだ。

今は誰も住んでいない田舎の家を埼玉に住む妹(叔母)が、
盆・暮れや大型連休があれば手入れに行っているらしかった。

今回の地震であの家が、どのような状態にあるかは私には想像がつかない。




関東に住む、叔父や叔母とはそつない年賀状のやり取りのみだ。

母と、叔父・叔母の間には深い確執がある。
互いに言い合ったり、表立ってもめたりしたわけではない。

昔からのつもりに積もった色んな出来事が、母の心を苦しめ、不動の恨みとなった。
もう、その恨み言や叔父叔母の両家に対する罵詈雑言は
私は幼い頃から絶えることなく聞き続けてきた。
生前は祖母の事もその話題に必ず含まれていた。

単身赴任で週末に父が帰ってくる度、夫婦喧嘩の最終的なテーマは、祖母・叔父・叔母が主だった。




そしてこの地震が起きて、テレビの各局の報道が放映されつづける間も
いつものように、いつも以上かもしれない、母の恨みつらみが続いたのだ。



そんな母が、状況を伺う為に、関東の両家に自ら連絡をとるわけもなく。

私も何も出来ないでいる。

私が何か行動を起こしても母の感情を逆なでする事になる。

いつか田舎へ墓参りに行こうと思っていた。
その気持ちは更に強くなった。
きっと母には内緒で行かなければならない。
内緒にしながら母に対して後ろめたさで一杯になる。

そして、父のいた家だから、故人や儚いもの(幼い頃は厭々行っていたくせに)への美化による郷愁に酔ってるのかもしれない。
日ごろから信頼のない私が、行動を起こしたとしても
それが火に油を注ぎ、なじられ、そんな部分を突っ込まれる。



何に対しても後ろめたさで一杯だ。



私自身も、親戚に対する不信感は拭い去れないものがある。

母の念仏のような言葉にかなり感化されていると思う。

それでも限りなく客観的に見つめてみても、信頼しきれない。
信頼したいから、辛くなる。
信頼できれば、と思う関係が理想だと思うから、
親戚だからと思うからよけいに辛くなるんだと思う。



母には嫌いな人が多い。
信頼している人は誰だろう。

信頼のない私。
信頼させてあげられない私。

何もかも、
待つしかないと、今、そんな手段しか思いつかないでいる。

地震をまたいで、もう2週間以上、母とは口をきいていない。
華やかな舞台に携わると、なんだか焦る。

宮沢りえが貴乃花(当時貴花田)と婚約した時焦った。
アレは高校時代だったか。

華やかな出来事があると多かれ少なかれ焦りが生じる。

今がわるくない。

2004年10月17日
人を励ましたり元気付けるけど、
自分はまったくやる気が出ない。

でも
遠くで雷が光ったみたいに、
遠いところで焦っている。
遠いところだから、尻に火がついたみたいに
じたばたしない。

自分は特別な存在であって、特別ではなくて、特別だ。

自分には特別な才能があって、何にもなくて、特別なんだが何もしない。

焦る。

何もしなくても、どうにかなる、はず。

目に映る、素敵なもの達を自分の手に入れようとは思わない。
私には分不相応だとかなんとか。

私には何ができるだろう。



そんなこと言ってる位なら、家事からまずやれ。
片づけが下手な人はよく、捨てる事が出来ないからだと言われますが
沢山物を持って捨てる事をあまりしなくても、片づけが上手な人もいます。

私はモノを捨てられない。

時々、勢いつけて思い切って捨てる事もある。


混沌とした状態も捨てがたい。

秩序がない秩序がいいと思っている。

モノだけじゃなく、人間関係においても、気持ちを割り切るのがヘタだ。




体調が良くない。

先月、足の付け根に紛瘤が出来た。
中の膿を出す為に切開したが、芯があるらしく、それを切除しないと
再発する可能性があるらしい。

残ったまんまだ。

腫れが引いた痕は色素が沈着して、消えるまでにはかなり時間がかかるだろう。

深呼吸をしよう。

暗くなってきた。
外は明るく、暖かいのに。

陰気な状態。

何を変えればどういう風に変わるだろうか。



私、一人で生活できない・・・かも。

衣食住にどれも自信ない。



仕事に出て、家事をする・・・。


『衣』
着るモノが臭くなりそう。
カチッとした服も全部型崩れしてそう。

『食』
美味しそうな惣菜を買ってきたり、
自分で作ったりしても、一人で食べるって、食が進まない。
失敗しても、家族と食べたら(一人で始末しないと、と思うからでもあるが)モリモリ食べられる。

私は食べる事に対して、欲が深くない。
の割にはデリケートで、食べなきゃという軽くプレッシャーがあると
例え空腹であっても箸が進まない。
味にうるさいわけでもない。

でも‘大人’だから
「食べれません」
が、言えない状況の時は、どこかの感覚を殺します。

食べなかったら病気になるから、食べざるを得ないよ。

いやぁ、食べないで病気になりそうだ。
意気地がないですから、私。



『住』
部屋は日中、仕事に出てるので閉めっきたままだから、
空気がこもり、カビが発生し、埃がつもり、虫がわく。

目に見えている。

学生時代、学校の近所に友人らと3人で一部屋を間借りしていた事がある。
住んでいたわけではなく、学校が遠かったので遅くなったら泊まる、
というような使い方だった。

其の部屋は、まさに先に書いた感じの部屋の有様だった。

とにかくマメに掃除しないと、床は砂だらけだし、布団は干さないからいつも重く、湿っぽかったし、
野良猫が入ってくるし、
便器の中に、見たこともない、図鑑にも載ってない、軟体生物がうごめいていたし(消臭スプレーをかけたら色が濃くなり体が縮んだ)。

(※そしてやはりありがちだが溜まり場と化し、泊まりに行ったら見ず知らずの人達が酒盛りしていた。)

しかし其の3人の中でも、まだ私が一番掃除していたなぁ。







とにかく親元が今、心地よい。

だがこんな私だから、時に親とも関係が最悪な状況になることも少なくない。

だからよく家出まがいや、家出をしていた。

昨日、T君とデートをした時、言われた。

「次、家出したら、知らんで」

あぁ家出か、4年前初めて行く当てのない家出(行く当てのある家出は何度かあった)をした時、
谷四あたりのウィークリーマンションに滞在していた。

その後、今から一年以上前の家出は半ルンペン状態だった。
金はあるから、余裕でまたウィークリーマンションに行けたはずなのに
会社の給湯室でお湯の出ない水道で体を洗ったり、
梅田の漫喫や、ホンモノのベテラン・ルンペンが徘徊する天満橋の近くで、車の中に寝泊りしていた。

本気で怖かったし、行くところがないと言うのは私の精神をおかしくするものだと心底思った。
慣れてしまうのも恐ろしかったし、何しろ虚しかった。

再びしたくない経験だ。

ネタとしては面白いとは思うが。

私は自分ではまだ、まともだと思っているが、
回りに不安や不振や不快を与える行動をする人間なんだろうか。

面白おかしくネタで話す時、大半の友人らは笑って聞く。
今無事みたいだし、本人が小話にしてるくらいだから、ははっ面白れぇな、とういう感じか。

でも、引く人、あきれる人、勝手にやってれば?てな人、否定する人、も少なくない。

親なんかはもう、気が触れてるんじゃないかって思ってると思う。

学生時代(ってまぁ、そういうお年頃じゃないですか)に、頭を丸めた事があった。
出家したかったわけじゃなく。

父は、はじめ器用に刈ったなとか言ってたけど、しばらくしてじわりとこみ上げてきたものがあったのか、
会社から電話してきた(職場からかけてくるなんてありえないのだ)。
「瀬戸内寂聴に話を聞いてもらいに行け」と言っていた。

頭おかしくなったと思ったみたいよ、と母が言っていたが、
父は私がなにか悩みや心が病んだりゆがんでるんじゃないかと、本気で心配したんだと思う。

怖いもの見たさ、経験したさ、と少しの自虐性による軽い行動だった。
それが、周りを不安にさせてしまった。

それを軽率と言うのだろうか。

T君もきっとそう感じるんだと思う。
不安にさせるんだと思う。
不安はしんどい。
私はめんどくさい。


「次、家出したら、知らんで」
と言われた数分後、とある古くからある風俗街の近くを通りかかった。
私は其の古い街並みと、ノスタルジーと、怖いもの見たさとで、
そこに足を踏み入れたいと申し出た。

T君は拒否した。
歩調を遅らせながら、なおも私は食い下がり、T君はそのままの歩調で、駄々をこねる母子のように二人の距離は徐々に開いていった。

すぐに私があきらめれば良かったのだが、段々意地になってきって、
それでも折れないT君に悔しくて、何とかして一緒に行こうと粘った。

ままならない状況に嘘泣き半分・本泣き半分で、涙が薄っすら滲んできた。
そこにT君の嫌悪感丸出しの表情に傷つき、涙が勢い付いてしまった。
さらにそんな私をウザく感じたT君は
「こんなんで、一緒にいたくない」
と言った。

私は「あんた、かたいねん」
といって、踵を返して一人その場を離れた。

自分の欲求を満たしてくれてなおかつ守ってくれる男はT君しかいない、
だから「一人で行けばいいやん」という拒絶が、私を自身を拒絶してると悲しい捉え方をしてしまった。

歩きながら涙が止まらなくなった。
涙を出し切ったあと、
家路についていたT君に電話した。

また傷つくかもしれないのに。
電話することしか思いつかなかったように思う。

T君はまた出て来てくれた。


ここまで書いてて、
なんて私は勝手で我侭なんだろう。

T君はそのような場所に昼間であっても、私らのような年齢の男女が
冷やかしで、足を踏み入れる事がとにかく嫌だったようだ。
男同士で冷やかしで行けたとしても。


T君に対して、私には腹を立てる余地が無い。



よく付き合ってられると思うよ。
こんな人間と。

いいとこなし。
生きてる価値はどこに?

自分が嫌だとか、こんな自分だからダメだとか。

抜け出たいのに出れない。
危機感がわかない。



一人でやっていけるのかな。

出て行くことがあるのかな。

いつ出て行くんだろ。




今、母が暴れて倒したハンガーラックを起し、散乱した衣類を元に戻した。

今日は夕方まで、弟と近所に出かけるつもりだったのに、
こんな事になってしまった(してしまった)。
あぁ、もう4時過ぎた。

まだあった。

2004年9月29日
F生活があっという間に半年経っていました。


ヨガをはじめます。

いかりはつかれる

2004年5月1日
今日からゴールデンウィーク。

前の会社は4月末決算で、しかも隔週土曜休みだったもんで、
ゴールデンな感じはなかった。
普通に大型連休がある事がうれしい。
長い休みは嬉しい。

夏休みはお盆じゃないらしいが。

一昨日、T君の友達らとボーリングをした。

今、重い筋肉痛に苛まれている。



Kからは最近、辛い報告ばかりだ。
しんどそう。
何も出来ないけど。



自分の中で自分へのダメ出しや、そのいい訳のやり取りに疲れた。

他人はダメ出ししてくれない。


さみしい人ですよ。

本当は送別会。

2004年4月28日
明日は休みだ。

Kは相変わらず一人忙しい。
私だったら過労死しそうな働きぶりだ。

私は無理だ。


新しく始めた仕事はやっと3週間経ち、
「慣れた?」とかよく聞かれるけど、働く事自体慣れない。
仕事内容は、慣れてきたけど。
慣れたなんて言ったら、ガンガン働かされそうだから、言うまい。

今月一杯で辞める、同じグループの人は、
入社当時から長く勤めるつもりはなかったらしい。

私もおなじく。

休みも取りにくいらしいし。
一人の負担が重そう。
あまり出来る素振りは見せたくない。

1 2 3 4

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索