久し振りだ。 そしてまたThe虎舞竜
2004年2月7日先月末(29〜30日)は、東京へ行った。
Kについていった。
新宿に一泊。
30日、Kは得意先まわりや他の件で仕事で。
待っている間、デニーズで本を読んでいた。
デニーズの自家製プディングが食感、甘味すべてにおいて良い。
ざらめさえ無ければ。
その後、
足が棒になるほど歩いた。
電車を乗り継いではカメラを探していた。
その日のうちにこっちに戻ってきた。
翌日の31日土曜日は、またカメラ探しに一人歩き回った。
I君と会う。
I君は仕事帰りで、注文していた眼鏡を引き取りに。
なにしたっけ?
忘れた。
あぁ、とんかつやさんで私、ビールだけ飲んでたんだ。
I君一人で食べてたな。
その後???
思い出せない。
また明日ね、って帰った。
2月1日 日曜日
フリマに行った。
お手伝い。
ボーリング。
カメラ行脚。
すぐ終わる。
7時前、I君、大学時代の友人達と会うとのことで、さよなら。
家に帰ると、節分の太巻きが。
恵方を向いて黙々食す。
2日 月曜日
特に何もしない。
3日 火曜日
カメラを購入。
ニコンのF○○。
本体中古。
レンズ新品。
Kと焼肉。
4日 カメラをいじる。
以前から少しは勉強していたが、なかなか。
とにかく撮って撮って撮りまくるのだ。
夜、I君と会う。
中華を食べ、レストしに。
5日 職安へ。
ささっと行って、ささっと帰宅。
カメラいじる。
寒すぎる。
昼過ぎから小雪舞う。
布団を干していた母、激昂。
突然の天候の変化による怒り。
八つ当りの為、家内騒然。
母、ふててしまう。
今夜は私が夕飯を作る。
野菜炒めのあんかけ風。
ほうれん草とたまねぎのサラダ。
粕汁の残り。
母、一旦は落ち着くが、やはり寝しなに響く音。
6日
昨日から引き続き一日中、母、機嫌最悪。
ネットで大東諸島について検索。
旅行見積もり再開。
出発日がギリギリすぎて、ままならず。
近所へ散歩。
なくなりそうな風景、建物、見慣れてるけど改めてみると変わってる風景、カメラにおさめる。
帰宅すると、姉が夕飯を作り始めていた。
昨日は何を作るかで姉に伺いを立てたところ、
「はぁ?そんなんあんた考えぇや。なんで私が考えなあかんねん」
と、誰からも突き放されて私一人、作っていたが、
(母は毎日々々いつも一人で作ることに孤独を感じていたのかもしれない)
今日は姉に協力的にし、仕返しなどしなかった。
自分がされて嫌だったから。
辛かったから。
姉は胃が痛いといっていた。
母は結局食べなかった。
7日
隣の改修工事もそろそろ終盤なのか、フローリングをはめている
音がかなりうるさい。
寝ていられない。
母の独り言も聞いてられない。
聞いていたくない。
言葉に悲しくなる。
親子と他人て何がどう違うんだろうか。
他人への罵倒と自分の肉親への罵倒が同じ。
憎しみが同じ。
まわりがそうさせたのか。
私は母を変えようとは思わない。
出来れば変わってほしいが。
出来れば人を、過去を、負の方向ばかりに考えないでほしいが。
私が変わるなら、どう変わればいいんだろう。
聞き流す、傷つかない心を持てばいいのか。
母が人を憎まずにいられる環境を作るのは困難だ。
過去を忘れさせるなんて、
忘れなくても今を前向きに考えるように
なれる環境なんて、私がどうやって出来るんだろう。
私がまず、傷ついたり感情的ならないようにしないと、なのであれば
どんな訓練をしたら強くなれるんだろうか。
母の言葉一つずつにどうしてこうも敏感になるんだろう。
見当違いな、母の感情で捏ね上げた周りに対する怒りの言葉に。
すべてが図星でもない言葉に、なのに。
肉体的なことまで。
涙が出る。
「○○のくせに!」
子供に対しての言葉と思えない。
私の価値観では。
私一人、キレイ事世界の住人なのか。
そんなに私は鬼のように母を苦しめつづけているんだろうか、
憎まれるほどの人間なんだろうか。
時折見せる、優しさはなんだろう。
そのときはすべて忘れてしまう。
罵倒されたことも、暴れている時の形相も。
態度も。
ほっとする。
でもまた偶発的なきっかけが発端で。
再び起こる。
おなかが痛い。
旅行なんてどうでもよくなってきた。
一人で知らない土地での発見と出会いが
今の私にどう働きかけるんだろう。
「わくわく」が奮い起きてこない。
一人で見知らぬ土地へ行く不安感と、
一人で行って家族を心配させるであろう後めたい気持ちと、
それを安心させられる事が出来ない自分の情けなさで、
うな垂れてます。
こんなんなら行かなくてもいいや、なんて。
こんな気持ちを払拭させるくらいの
「わくわく」感がどこかへいった。
家に居たくない。
一人じゃ寂しいくせに。
一人じゃ、もっと「何かをやりたい」欲求がなくなるだろうに。
今すぐ、やらなければならない事
時間が解決する事・待つ事
どっちがどっち
Kについていった。
新宿に一泊。
30日、Kは得意先まわりや他の件で仕事で。
待っている間、デニーズで本を読んでいた。
デニーズの自家製プディングが食感、甘味すべてにおいて良い。
ざらめさえ無ければ。
その後、
足が棒になるほど歩いた。
電車を乗り継いではカメラを探していた。
その日のうちにこっちに戻ってきた。
翌日の31日土曜日は、またカメラ探しに一人歩き回った。
I君と会う。
I君は仕事帰りで、注文していた眼鏡を引き取りに。
なにしたっけ?
忘れた。
あぁ、とんかつやさんで私、ビールだけ飲んでたんだ。
I君一人で食べてたな。
その後???
思い出せない。
また明日ね、って帰った。
2月1日 日曜日
フリマに行った。
お手伝い。
ボーリング。
カメラ行脚。
すぐ終わる。
7時前、I君、大学時代の友人達と会うとのことで、さよなら。
家に帰ると、節分の太巻きが。
恵方を向いて黙々食す。
2日 月曜日
特に何もしない。
3日 火曜日
カメラを購入。
ニコンのF○○。
本体中古。
レンズ新品。
Kと焼肉。
4日 カメラをいじる。
以前から少しは勉強していたが、なかなか。
とにかく撮って撮って撮りまくるのだ。
夜、I君と会う。
中華を食べ、レストしに。
5日 職安へ。
ささっと行って、ささっと帰宅。
カメラいじる。
寒すぎる。
昼過ぎから小雪舞う。
布団を干していた母、激昂。
突然の天候の変化による怒り。
八つ当りの為、家内騒然。
母、ふててしまう。
今夜は私が夕飯を作る。
野菜炒めのあんかけ風。
ほうれん草とたまねぎのサラダ。
粕汁の残り。
母、一旦は落ち着くが、やはり寝しなに響く音。
6日
昨日から引き続き一日中、母、機嫌最悪。
ネットで大東諸島について検索。
旅行見積もり再開。
出発日がギリギリすぎて、ままならず。
近所へ散歩。
なくなりそうな風景、建物、見慣れてるけど改めてみると変わってる風景、カメラにおさめる。
帰宅すると、姉が夕飯を作り始めていた。
昨日は何を作るかで姉に伺いを立てたところ、
「はぁ?そんなんあんた考えぇや。なんで私が考えなあかんねん」
と、誰からも突き放されて私一人、作っていたが、
(母は毎日々々いつも一人で作ることに孤独を感じていたのかもしれない)
今日は姉に協力的にし、仕返しなどしなかった。
自分がされて嫌だったから。
辛かったから。
姉は胃が痛いといっていた。
母は結局食べなかった。
7日
隣の改修工事もそろそろ終盤なのか、フローリングをはめている
音がかなりうるさい。
寝ていられない。
母の独り言も聞いてられない。
聞いていたくない。
言葉に悲しくなる。
親子と他人て何がどう違うんだろうか。
他人への罵倒と自分の肉親への罵倒が同じ。
憎しみが同じ。
まわりがそうさせたのか。
私は母を変えようとは思わない。
出来れば変わってほしいが。
出来れば人を、過去を、負の方向ばかりに考えないでほしいが。
私が変わるなら、どう変わればいいんだろう。
聞き流す、傷つかない心を持てばいいのか。
母が人を憎まずにいられる環境を作るのは困難だ。
過去を忘れさせるなんて、
忘れなくても今を前向きに考えるように
なれる環境なんて、私がどうやって出来るんだろう。
私がまず、傷ついたり感情的ならないようにしないと、なのであれば
どんな訓練をしたら強くなれるんだろうか。
母の言葉一つずつにどうしてこうも敏感になるんだろう。
見当違いな、母の感情で捏ね上げた周りに対する怒りの言葉に。
すべてが図星でもない言葉に、なのに。
肉体的なことまで。
涙が出る。
「○○のくせに!」
子供に対しての言葉と思えない。
私の価値観では。
私一人、キレイ事世界の住人なのか。
そんなに私は鬼のように母を苦しめつづけているんだろうか、
憎まれるほどの人間なんだろうか。
時折見せる、優しさはなんだろう。
そのときはすべて忘れてしまう。
罵倒されたことも、暴れている時の形相も。
態度も。
ほっとする。
でもまた偶発的なきっかけが発端で。
再び起こる。
おなかが痛い。
旅行なんてどうでもよくなってきた。
一人で知らない土地での発見と出会いが
今の私にどう働きかけるんだろう。
「わくわく」が奮い起きてこない。
一人で見知らぬ土地へ行く不安感と、
一人で行って家族を心配させるであろう後めたい気持ちと、
それを安心させられる事が出来ない自分の情けなさで、
うな垂れてます。
こんなんなら行かなくてもいいや、なんて。
こんな気持ちを払拭させるくらいの
「わくわく」感がどこかへいった。
家に居たくない。
一人じゃ寂しいくせに。
一人じゃ、もっと「何かをやりたい」欲求がなくなるだろうに。
今すぐ、やらなければならない事
時間が解決する事・待つ事
どっちがどっち
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